木は二度生きる

切られても続く命

 

 当たり前ですが、大往生する木を私たちは知りません。人間なら畳の上でとか、家族に見守られてとか、理想と考えられている別離がいくつかありますが、木がそのように死ぬところに立ち会うことはできないと言って差し支えありません。

 人知れずひっそり倒れ朽ちるのが木の一生でしょう。しかしそのように終われる幸福な木は少なく、大半は樹齢の長いものほど台風、病気、害虫などの自然災害、あるいは間伐、造材など人間による強制的な中断によりほとんどが天寿を全うすることなく生涯を終えます。もしあらゆる条件がそろい、何不自由なく生きたとして、木はどこまで生きるのかと、つい考えます。

 これはなかなか難題です。長年の経験から倒れた木を見てこれがこの木の寿命だと分る場合なら、年輪を数えるのが最も確実です。桜やから松なら60年前後、シラカバ、ハンノキは30〜40年、ナラ、カバなら300〜400年、という具合です。もちろん生育環境により変わりますからあくまで目安です。では樹齢の長い木はどうなのかといえば、上記のように「道半ば」で倒れる木がほとんどですから、判断は不可能と言えます。

 そこで次善の策として林野庁が行なう「成長錐(せいちょうすい)」と呼ばれる細長い円筒状のドリルによる方法があります。山野で生きている木に、このドリルを突き刺し直径5ミリ程度の年輪の標本を取り出して年輪を数え、その後元に戻します。これ以外にも樹高、幹の周径、根周りから推定したり、古い文献にある記録を調査することもあります。また最近は「放射性炭素による測定」があります。この測定法では屋久杉の縄文杉で2500年、大王杉で3500年ということになるそうです。樹齢300年ほどと言われている杉が、なぜかくも長寿の杉になるのかと言えば、やはり特殊な条件がそろった結果です。 

 いずれにしても、これらの測定で分るのはあくまで現在までの時間であって、天寿ではありません。が、少なくとも神々の時代か、それ以前から生きている木であることは間違いなく、果てしない年月がかたまりになっているような気がしてきます。この後どこまで生きるのかといえば、結局は神のみぞ知ることとなります。

 ところで天寿を全うできずに倒れた木は山中で朽ち果てるばかりかと言えば、もちろんそうではなく、遠い昔から人間生活に多大な貢献をしてきました。神々の時代すでに、重大な用途は決められていました。「日本書紀」巻第一にこうあります。

 「スサノオノミコトがいわれるのに、『韓郷(からくに)の島には金銀がある。もし我が子の治める国に、舟がなかったらよくないだろう』と。そこで髯を(ひげ)抜いて放つと杉の木になった。胸の毛を抜いて放つと桧(ひのき)になった。尻の毛は槙(まき)の木になった。眉(まゆ)の毛は樟(くすのき)になった。そしてその用途を決められて言われるのに、『杉と樟、この二つの木は舟をつくるのによい。桧は宮をつくる木によい。槙は現世の国民の寝棺を造るのによい。そのため沢山の木の種子を皆播こう』と······」(宇治谷孟訳、講談社学術文庫)

桧が法隆寺という世界最古の木造建築に使われたのはよく知られるところです。伝承とはいえ、体験的に桧の命の長さとそれを生かす知恵を持っていた訳です。その後どのように私たちが木と付き合ってきたかを考えると、日本人の遺伝子に組み込まれた木を好きな訳はこのあたりから始まっているに違いありません。

 このように木の命には二つあります。生きて立っている時の樹齢、伐採されて用材として生かされてからの耐用年数です。樹齢だけが木の生きた、あるいは生きている時間ではなく、伐られてからも生き続けていると考えることが出来ます。伐られるまでは酸素も緑も供給し、保水して災害も防いでくれます。その上使い方を間違えなければ、伐った時の樹齢が100年ならその後最低100年は生きることになっています。樹齢の倍生きるという説もあります。それにしたってなんと大きな恩恵でしょう。

 二度生きる木を、樹齢以上使わなければならない義務のようなものが人間にはあります。(2010.10)

Copyright(C) 2001〜2011 Woodworking Fuusha All Rights Reserved.