大学5年間とその前後、都合9年間いわゆる首都圏に住んでいました。葛飾区新小岩に浪人時代の1年、大学のある横浜に8年です。大都会で自分が根っからの田舎者であることを知り、生きている手がかりのようなものとして単独の登山と木を触ることをやっていました。恐らくこれが木工を仕事にすることになった、遠い理由ではないかと思っています。
注文してくださった方が、思わぬ時に発見する意外な仕掛けや細工。さりげなく、実はすごい技を使っていたなんてことがわかれば、これはもうかっちゃった!とかなんとか幸せを感じていただけます。そういう仕事をしたいと考えています。逆に、ふとごまかしが露見してしまう、こんな互いに不幸な仕事だけはしないことにしています。自分が死んだ後も残るものですから(そう願っています)、所有している方が誇りに思ってくださるような仕事をしてきたつもりですし、これからもそうしようと思っています。
ワンマン工房ですから何から何までひとりでやらなければなりません。少しでも営業の足しになればと、切羽詰まって公開しました。こういう種類のはやりのようなもの(2000年頃はまだそんな風に感じていました)が最も嫌いな性分でしたが、背に腹は替えられませんでした。 当初は長女に作ってもらいました。その後、少しずつ自分の考えで更新しています。理想にはまだまだです、徐々に近づくつもりです。接続環境は2016年2月、ついにISDNからLTEに変わりました。携帯が使えるようになってようやくストレスなく接続できるようになりました。
さて、更に詳しいことは「楓舎物語り」でお話することにします。どうぞ下記をご覧ください。