2011/12/31
冬至を過ぎると気持ちが明るくなる。一日一日陽が長くなるのが何となく嬉しい。春を待つ気持ちというのではなく、これからしっかりスキーができるということなのかもしれない。日暮れが早いと追い立てられるようで落ち着かないから、写真のような陽射しの時間が少しでも長ければ良いと思う。この冬は雪が遅いなあと思っていたがここへきてまあまあちゃんと積もった。
ことし、日本の震災だけでなく、世界中でこれまでの秩序が崩壊し始めた。欲望の手綱を放してしまったかのような資本主義の終点に近づきつつある。終点はどうなるのか判らないが、これまでのような「成長」だの「景気」だのは、一時的にはあるとしてもすぐに息切れし、なくなっていくだろう。欲望を野放しにするとどうなるかは、今や誰にでも判るようになった。同時に国家はそれをどう制御することもできなかったわけだから、当然国家という枠組みも変質するか消滅していくことになる。その先に何があるか。今のところ誰もそれを示すことが出来ないが、結局は個々人の欲の納め方、生き方そのもの、をどうするかにかかってくる。これまでのままで良いのかどうか。もし違うとすればどう改めるのか。その辺りの個々の決断の総体として新たな世界の姿が現れることになると私は考えている。
増税に対するギリシャ国民の怒りは解る。が、自分たちに支払われる給料の原資はどこから入っているのかを考えてみれば、自分の首を絞めているのは自明である。労働と対価が完全な物々交換となっているのなら、こんな事態にはならない。それは国家が正直にその任を果たしていれば、ということとほぼ等しいと考えることもできる。しかし国家というものが、官僚と政治家の食い物にされているのは世界中で大差ないのであるから、それらの国々が屋台骨としてきた資本主義も暴走する。
かくして国家と資本主義が相乗的に影響し合って崩壊が始まったというわけである。実業家も経済学者も政治家も夢よもう一度と、ない知恵を絞る振りをしているが、実のところ何の展望もないだろう。私はぞくぞくしている。「国家を運営している」と思っていた連中が、このあとどんな醜態をさらすのかより、世界が大転換、大変換しつつある渦中にいることにである。来年以降さらに混迷は深まることだろう。今年はその混沌の幕開けの年であった。