楓舎小屋便り

 

2024/5/23

「イスラエル 」という狂人国家。

2024年春 花壇の片隅で

 山はすっかり新緑に染まりました。コブシが咲き桜が終わり、梅もスモモ散り始め、梨がそろそろ花の時期になります。めまぐるしく過ぎてゆく木々の花の下では、やはり待ち構えていた花々が開き始めます。新緑のなかで美しい命が輝きます。一気に酸素濃度が上がります。そのせいでもないでしょうが何年も姿を見なかったオオジシギが戻ってきました。カラスが何年間も子育てをしていたからなのかどうか判然としませんが、春の宵の風物詩が元通りになりました。「ジュー、ジュー、ジュー、ジュー、ジュピッジュピッジュピッ」次の瞬間「ワーシワシワシワシワシ !!」と羽ズリの音をたてながら急降下してきます。なんともにぎやかで、こちらも浮かれてきます。

 この何ヶ月かのイスラエルの「戦争」が度はずれた「虐殺」で、かつて自分たちが受けた悲劇を今度は自分たちが行う様相です。わたしは本音ではユダヤ人なんかナチスに滅ぼされていればよかったのに、とまで考えます。冷静に見てこの悪行にはいくつか根深い原因があると私は考えています。最初にあげるべきはやはり第二次世界大戦後のイギリスの二枚舌によるパレスチナへの裏切りと、同時に、その結果「誕生させたイスラエル 」というユダヤ人国家です。その教典によるとこの地はかつて自分たちが「神に与えられた 」ものであるから、そこへ戻ってきたにすぎないという論理というか信仰ということになるのでしょうね。しかし現実の歴史上何千年かの変遷をへて、すでにそこに住んでいたパレスチナのひとびとを蹴散らし「ここは自分たちの土地である 」と居座ったことには、どう考えても何の正当性もありません。しかもその後何かとパレスチナから武器を持って先住のひとびとを追い出そうとしてきました。表向きは「民主国家 」の体裁をとりながらも、やってきたことの多くパレスチナのひとびとに対するただの迫害であり不法行為です。

 二点目として、その正直な目的はイスラエル軍高官がいみじくも述べたように「人間の顔をした野獣だから根絶やしにする 」ことでしょう。ここには徹底的な差別と思い上がりが見られます。「自分たちは神に選ばれた民族である 」というもはや理屈ではどうにもならない思想があります。私には「悪魔に選ばれた 」間違いではないかと思えるのですが。

 三点目には、このイスラエルの虐殺行為に対しアメリカは積極的に武器を提供し止めようともしません。中国の「人権侵害 」を烈しく糾弾しながら、イスラエルの「侵害 どころではない」虐殺に対し、アメリカもヨーロッパ各国もロシアのウクライナ侵攻の時にあげたような非難も制裁も課そうとしません。ああそうなんだ、近代をリードしてきた「欧米 」のこれが本性なんだ、この欺瞞が近代の本質なんだ、と思い至りました。非常にくらい認識になりますが、わたしは、近代は技術と武器を手にした人種差別主義者たちの目的地だったのであり、その欺瞞をここまであからさまにせざるをえなくなるほど劣化してきたとも考えています。近代の理性と欲望の軋轢は結局欲望が優勢になったと言えるのではないでしょうか。「国際法がどうであろうと自分たちのやりたいようにやる 」というネタニヤフの言明は、近代がつくってきた(と思っていた )価値がもはやその有効性を失っているともいえます。

 世界の覇権をどこが手にするのかは別として、資本主義とともに「花開いた 」近代は終わるのだという確信をわたしは強めています。次にどのような価値が生まれるのか、創るのか、わたしには依然わかりません。ただ鬼っ子ともいうべきイスラエルのような狂人国家が今後も現れないこと、北朝鮮がそうならないことを祈ります。

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