楓舎小屋便り

2010/6/20

普天間基地にまつわるあれこれ

2010年6月のヤマモミジの花

この二ヶ月余りサイトの整理をしていました。一昨年中に標準化する予定でいたのがこれまで延びてしまいました。まだ100パーセントではありませんが、ほとんどのページを終え、特にサイトマップはようやく整いました。これでこのサイト内で迷う(まあこの規模で迷う人もいないと思いますが、、、)ことはないと思います。自分としてはすっきりしたソースを見るととても気分が良くなります。それにしてもずいぶんと時間がかかったものです。

 

ところでもうすぐ参議院議員の選挙ですが、鳩山前総理大臣がつまづいた「普天真問題」は、つまづいて当然の大きな問題です。最初の意気込みは本心からそう考えていたのでしょうが、いかんせん単に政治家としての勉強をしていなかっただけのお粗末でした。こんな人が総理大臣になったといって浮かれてしまった自分が情けないかぎりです。

 

管総理大臣はこのことについてはあまり力を入れていないようです。財政再建も福祉も大事です。しかし、沖縄の人々の65年間、軍事基地と隣り合わせで暮らしてきた命の危険に満ちた65年間、これを「抑止力」のひとことで脇に置くのは、自分だけがよければそれでよいというアメリカ式の差別でしありません。国家の重大な使命である「国民の生命と財産を守る」ために、沖縄の人々の「文化的な最低限度の生活」さえ守らない、これが国家と言えるのか。この矛盾をどうしようというのかといまさら言っても答えははっきりしているのです。「日本と極東の安定のための抑止力」なのだから我慢しろ、これを65年間沖縄に押し付けこれからも押し付けようとしています。この差別をこれ以上続けるのは怠慢どころか犯罪に等しいと考えるのです。

 

日米安保条約が今年50年目を迎え、最初の主旨からはいつの間にやらかけ離れたものになっています。冷戦の時も今も要するにアメリカの国際戦略に沿った基地の提供先であり、日本の防衛など刺身のつまみたいなものです。その程度の見返りのためにこの50年間日本政府はアメリカの属国として在ることをよしとしてきました。その上沖縄を人身御供よろしくアメリカに差し出し続けてきたという訳です。何よりもそういう政府を認めてきた沖縄以外の日本人すべてが、これまでをどう反省するのか。このうえ政府と一緒になお沖縄を犠牲にするのなら、バブルだろうが不景気だろうがすべての行為に一片の正当性もあり得ないことを知るべきでしょう。自分さえよければ後は野となれ山となれでは、とても鳩山前総理大臣を笑ったり非難できるものではありません。

 

根本的な問題は、50年間変わらず「日本の安全保障はどうあるべきか」でした。50年経ってもその議論ができない国というのは、これは誰が見ても国家の態をなしていない。なめられて当然です。今後米軍基地縮小を目指すなら憲法や日米安保条約の問題に踏み込まなければなりません。アメリカが世界戦略上沖縄よりも重要であったはずのフィリピンのクラーク基地を手放したのはなぜか。さらには日本と同等かそれ以上緊張の在る在韓米軍の縮小を行なっているのはなぜか。どちらも自らの要望を妥協せず要求し続けたからです。日本はどうかといえば、経済のために簡単に要求を取り下げるのです。沖縄の人々の苦痛など一顧だにされません。金のためなら何でもする卑しい商人そのものの振る舞いがすべてでした。

 

また、米軍基地を認めるのなら基地負担の平等化を今こそ進めなければなりません。先に徳之島への部分移転に島を上げて反対したのは、今の日本人の無責任かつ堕落した精神の象徴だと感じました。その中で大阪府の橋本知事だけが受け入れに前向きであったらしいですが、少なくとも全国の知事が見習う最低の作法ではないでしょうか。沖縄を犠牲にした繁栄も平和も安定も、滅びへの道すがらに咲いた仇花でしかありません。今は何よりも沖縄の基地縮小、撤去、移転が最大の課題なのですから。

 

それが政治のリアリティだというなら、せめてもう少ししたたかに交渉するべきです。政治も軍事も経済も個々に切り離すのではなく、総体的な議論の中でそれぞれのカードを切っていくべきですし、最後の手段は80兆円のアメリカ国債を売る覚悟もするべきなのです。うるさいこといわずに金も基地も出す日本からアメリカが出て行くはずはないのですから、主権国家でございますと胸を張る気があるならこのカードをちらつかせることは第一歩です。

 

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