2023/3/30
3月に必ず訪れる大雪も終わり、いよいよ雪融けが進みます。少し離れた地域ではすでに地面がほぼ見え始めています。市街地にはもうほとんど雪はありません。標高が高い我が家(342m)のまわりにも春はやってきました。野鳥があれこれ大挙して鳴き、カラスは繁殖のために巣作りを初めています。最高気温は10℃を上回り、陽射しは日に日に強くなります。
この冬久しぶりに大型のテーブルをつくり始めました。オーナー様の強い希望で、なまった体をむち打ち取り組んでいます。しかし悲しいかな、といいますか、予測通りといいますか、当初の皮算用より大幅に遅れています。70歳のからだもこころもそれなりに衰えていることを突きつけられています。しかしまあばたばたあわててもしょうがありません。こういうものであることを認めて、できるようにやるしかないと居直っていきます。
さて、経済学者(法政大学教授)の水野和夫がアベノミクスを総括しています(論座 2023年3月15日)。「アベノミクスは”終わってしまった近代 ”の幻影を追ったドン・キホーテだった。」ばっさりずばり、これ以上何も言うことはありません。とは言いながら少し加えますよ。「アベノミクスが失敗したのは、そもそも近代の土台となってきた、中間層を生み出す仕組みがなくなってしまっているためです。いままでは成長で中間層が増え、みなの生活水準が上がっていった。そこまでは、成長はいいことだ、ということでよかったのですが、成長しなくなったとき何をめざしたらいいかわからなくなってしまったのです。安倍晋三元首相も成長の先にどういう社会をつくりたいのか、結局言えませんでした。本当は”成長 ”は最終目的ではなくて、中間手段のはずなのです。」現岸田政権も「どういう社会をつくりたいのか 」にはいまだ触れていません。だいたい触れることなんかできませんよね、たこみたいなグニャグニャの姿勢では。成長しなくなった経済、という認識がそもそもありませんから、言えるのは成長成長だけでしょう。自民党という体勢がそうです。日本の有権者はいつまでこんな無定見の政党に日本の舵取りを任せるのでしょう?
世界の金持ちの隠し金庫だったはずのスイスの銀行が破綻し、世界経済を牛耳るアメリカでも突然銀行が2行破綻しました。今後も相当の中堅どころが破綻する恐れがあるようです。日本だってひとごとではありません。中堅どころか、この4月から総裁が交代する総元締の日銀がどうなるかわからなくなっています。当然この10年間低金利、マイナス金利で痛めつけられてきた地方銀行はばたばたという調子で破綻していかざるをえません。このことだけでも、資本主義はおかしくなってるとわかります。斉藤幸平が言うように(「人新世の資本論 」)、人類共通の財産であるこの地球をさえ資本は収奪します。ウクライナの戦争は、シベリアの地下資源と北極海の航行利権を我がものにしたいアメリカの欲望が原因です。この先アメリカがはれてシベリアの地下資源を手に入れて、北極海航路で世界貿易を支配したとして、その先に待っているのは必ず荒廃したシベリアの大地と奴隷化した多くの国です。さらにその先は核兵器でこの地球を壊します。今ウクライナで行われている戦争はいずれ第三次世界大戦へと進まざるをえなくなります。アメリカの軍需産業資本はそれについて躊躇はしないと私は見ています。それが資本主義の末路の一つだからです。そして今回の戦争は資本主義の限界を象徴的に示していると考えられます。
しかしそれにしてもこの世界が否応なくつながってしまっていることは、私たちの日常生活が大小の影響を受けることでもよくわかります。「関係ない」と思考停止するのではなく、また、自分が生きている間はこのままでいける、と逃げを打つのでもなく、やはり世界について考え続ける必要があります。その結果何の変化を起こせなくても、少なくとも何かできることはないかと自分の頭で考えることが未来につながると思わざるをえません。どんな社会なら納得して生きていけるのかと。
2023/1/31
70数年前にこの地区に入植した開拓者はまずは雨露しのぐ掘っ建て小屋を建てて何年かを食いつなぎ、その後「家 」といえるものを建てたのでした。今の目ではあまりに粗末な安普請ではあっても、その人たちにとってはようやく安住の場所を手にした喜びにあふれていたことでしょう。しかしその後厳しい気候のため思うような作物の収穫がなく、次々に離農していったそうです。住人を失った家は荒れ果て、朽ち果てます。その寸前のこの家は、かつてここに人が住んでいたことをひっそりと告げています。実は私たち家族は40年余り前、開拓者が建てたこの家と同じような家に引っ越しそのまま今も住み続けています。温暖化でずいぶん自然条件は変わりましたが、開拓者たちの苦労と夢と挫折の一端を体験し続けています。
「義経 」(司馬遼太郎 -文春文庫)を読みました。この歳になるまで童謡の文句程度の知識しかなかったことをとても残念に思います。鞍馬山の牛若丸がなぜ人々の間で偶像化し、なぜ全国に義経伝説が産まれたのか、義経の短い一生の浮沈を知るにつけその謎が少しは解けたような気がしています。酒漬けにされた義経の首が鎌倉へ運ばれてきたときに頼朝が言った「悪は、ほろんだ」ということばを取り上げて、司馬遼太郎は最期にこう記して物語を閉じています。「なるほど、国家の機能をあげての弾劾と追跡を受けた義経は、悪と言えば類のない悪であるかもしれなかった。が、『悪 』という言葉を頼朝の口からきいたひとびとも、それを漏れ聞いた世間の者も、また京の廷臣たちも、ーーー悪とは、なんだろう。
ということを一様に考えこまざるをえなかった。後世にいたるまで、この天才のみじかい生涯は、ひとびとにその課題を考えさせつづけた。
」
義経は、あくまで政治という権力争いの現実の犠牲者ではなかっただろうか、と司馬遼太郎は言っているように思います。政治というものが愚にもつかぬ腹の読み合いで権力の帰趨が決し、その後いくばくかの期間果実によだれをたらす。その合い間合い間に伝説や挿話が産まれます。那須与一の扇ノ的も、安徳帝を抱いて入水する二位の尼、華麗な十二単の建礼門院(平徳子)の入水なども、この政治の駆け引きとはあたかも無縁の物語のように語られることとなりました。そうでもしなければ殺伐とした人間同士の殺し合いから救われることができないと感じたひとびとの一つの知恵なのかもしれません。しかしそれらは後世のあとづけの美化なのであり、時には歴史の本筋を見あやませることもあるでしょう。私なんかはその典型的な愚か者です。
歴史の本筋とは何でしょう。やはりこの国を支配する者たちの功罪ということになります。十二世紀後半に生きた義経の時代、たとえばそれまで曲がりなりにも続いていた律令制が一気に崩壊し、武家の時代へと大転換しました。それまですべての土地は国家の所有だったのですから、これは天地のひっくり返るほどの大転換だったのです。土地の公有から私有へ、経済制度に「競争 」という意味が強く込められました。このあと、近代までこの制度はより洗練され充実していくことになります。大前提が「私有 」という思想でしょう。日本昔話によく登場する「欲深な老人や殿様 」の背景にこんなことがあったと考えられます。
時代は代わります。しかし時代をつくるのは人間ですから、人間の欲望が変わったから時代が変わったということになります。これを進化という風に私は考えませんが、時間の流れとともに人間の欲望も変わります。ロシアのプーチンについてはあまり変わったとはいえませんが‥‥。ともあれ時代は、人間の欲望とともに確実に変わっていきます。たとえば、国がなくなるのは絶対避けなければならない、地球を破滅させてはいけない、などという信仰なのか強迫観念なのか判りませんが、「そんなもの 」だってどうなっていくのかだれにも判りません。ロシアとウクライナの戦争がいつしかアメリカとロシアの戦争になり、最後は核を使うことになるのかもしれません。人間の欲次第です。
話はそれてしまいましたが、「義経 」を読んでそんなことが思いうかびました。
2022/12/19
確かに温暖化で年々暖かくなっています。12月に入ってもず分暖かい日々が続いていました。しかしこの10日ほどで一気に厳寒期です。雪はまだそれほどではありませんが、ここ何年かでは珍しく握れないさらさらの雪が降っています。日中の最高気温が−5℃〜−6℃となり、薪ストーブもフル回転です。
こんな寒い季節になって、ウクライナで水も暖房も無く打ち捨てられているひとびとのことが気になります。ロシアは冬を味方につけようとして、インフラ攻撃に集中しています。ゼレンスキーは夥しい数の自国民が餓えと寒さで息も絶え〃の中、まだ戦闘意欲は衰えていないようですね。一刻も早く降伏しなければ一体どれほどの人々が死んでしまうか判りません。国民もそれでもよいと思ってロシアに対し憎悪を燃やしているのでしょうか? 戦争というものがこんな風に悲惨であることを見せつけられると、愚かしさを通り越した人間の原型とはこんなものなのかと、徹底的なあきらめに襲われます。この原人間は宗教をもってしても救えないのでしょう。
それに付けてもこのウクライナとロシアの戦争が、なぜ起こったのかというのは今や世界中に知られているように、世界の覇権を手放したくないことと、シベリアの資源、北極海の海上航行の利権を手にしたいアメリカの悪魔のような欲望が原因です。2014年のミンスク合意以降、ウクライナの軍備軍事増強に肩入れしてきたNATO(実質的にはアメリカ )の行動がロシアの危機をあおり、ウクライナへの侵攻となりました。ウクライナ、あるいはゼレンスキーは歴史的なロシアへの恐怖をアメリカにうまく利用され、けしかけられ、NATOの協力で着々と軍備を増強し、軍隊の強化も行ってきました。これは客観的に見ればどうしてもロシアのいらだちに肩入れせざるを得ません。おそらくロシアもウクライナをNATOに加入させ最期にはロシアを破滅させにくるアメリカの意図を最初から見抜き、先手をうって;ウクライナに侵攻したということです。
すべてはアメリカの欲望が原因です。世界地図を見るとユーラシア大陸に中国とロシアが盤踞しています。しかもそのうち中国は近年急激に経済成長し、軍事大国化しています。核兵器ももっています。アメリカとしては自らの覇権を脅かす存在と考えざるを得ませんが、簡単に打ち負かせる(かなり時代がかった言い方ですが、単細胞の頭脳ならこんな思いでしょう)相手ではありません。その点ロシアならウクライナをうまく丸め込めば、大手を振ってつぶしにいけるだろうと考えても無理はありません。なにしろシベリアには無尽蔵ともいえる資源が眠っている、これを我がものとしたい。核兵器こそ大量に保有しているが、平時に置ける経済状況を見れば中国よりはよほどチャンスがある。まあおよそこんな魂胆から冷戦終了時にもNATOを解体しなかったのです。
プーチンもいい面の皮です。ここまでなめられて引っ込んではいられないでしょう。ウクライナ侵攻は当然であると私は考えています。2014年ミンスク合意以降度重なるロシアの警告をウクライナ側は無視してきたのですから、うーむ、ロシアにはこの選択以外はなかったでしょう。そして戦争は始まってしまいました。客観的には、私にはどうしてもロシアが気の毒な立場に見えるのです。アメリカになめられるような経済状況であるし、国家としての勢いもありません。私はもともとロシアびいきですからこう思うのかもしれませんが、より非難されるべきはどうしてもアメリカの野望です。20世紀に確立していたアメリカの覇権は、世界最大の軍備と経済力を土台としていました。しかしそれは今揺らぎ始めていますから、もう一度それを確固としたものにしたいと考え、シベリアに手を伸ばそうとしているのです。
一方16世紀末期から18世紀初めにかけてシベリア、カムチャッカを手に入れたロシアは、しかしその後今日までそこがもっている潜在的な価値をいまだ十分に利用しきれたとはいえません。決定的なことは労働力不足と食料補給手段の欠如(こちらは現代ではほぼ解決されているようです)でした。永久凍土が融解してきて住居適地が激変しているそうですが、それにしてもいまだ未開と言っていい状況です。ここに眠る資源の中身は今後さらに発見されていくことになります。資本主義にとって収奪のためのの周縁がなくなった今、アメリカにとっては絶好の金儲けの種になります。アメリカは「死んでも金が欲しい!」というある意味資本主義の権化といえますが、しかし資本主義がそろそろ終焉を迎えようとしている時代にあって、なお富を収奪しようとする姿は「資本主義の亡霊 」のようにもみえます。第二次大戦後からロシアとの冷戦期を通じ、アメリカの資本家(どんな人種か知りません )は世界地図を眺めながらおそらく「ここを手に入れたい! 」と指差したかもしれません。
私は学生時代トルストイをはじめロシア文学を読みふけりました。18世紀初頭、皇帝の地位にあったピョートル大帝によって急速に取り入れ始めた近代科学はその後驚異的な進展を見せ、ロシアは一気に近代国家となっていきました。そういう政治経済の流れの中に在って文学者たちが目指したのは、先に述べた「原人間 」からの脱皮ではなかったかと私には思えます。とはいっても1917年のロシア革命後のソ連の歩みはその脱皮からはほど遠いものであったことを、残念ながら70年余りで露呈してしまいました。シベリアを手に入れてからのロシアが、ヨーロッパに対抗していこうと急いだ歴史は多くの無理を内包していたのではないでしょうか。シベリアでひっそりと暮らしていた多数の少数民族をハエでもつぶすように支配下に置き、すでにモンゴルでは絶えていた遊牧文明を維持していたブリヤートモンゴルを征服し、カムチャッカ半島以南にいたアイヌ民族さえ奴隷化しようとしたのです。ひどくおおざっぱな言い方になりますが、これら無数の人々の反感を慰撫するにはまだまだ時間が足りないと思うのです。急速な近代化、大国化で投げ捨ててきた「人間の幸福 」についての考察は、いまだ取り組むことさえしようとしていないように私には思えます。
プーチンが200年前のピョートル大帝の思想と行動を賞賛し、そこへの回帰を目指しているかのような現在の政治姿勢は、やはり時代錯誤とか前近代的ということで受け入れられません。いくら核兵器をちらつかせても、シベリア征服の時の銃、鉄砲のようには使えないのです。アメリカのどす黒い野望を野放しにしたくはありませんが、プーチンもまだほかに手は無いのか今一度考え直してほしい。むざむざアメリカの挑発にのせられて、ロシアという存在が世界地図からなくなるなんてことにしないでほしいと切に願うのです。
2022年はコロナがまだ終息せず、大きな戦争が起きたつらい一年でした。
新しい年が少しでも世界が平穏になることを願っています。
みなさま、どうぞよい年をお迎えください。