2010/4/12
中間ぐらいです。
頂上です。
左側に国道が見えます。
4月4日に初めて日勝峠の上を滑りました。一週間前に自分だけの滑り納めをして体はすっかり空気が抜けていたのですが、思わぬ雪が降って知り合いの若者に案内してもらったのでした。こういうところを滑りたくて始めたスキーでしたが,いつの間にやらスキー場を滑るだけで満足していたようです。
登りに一時間半かかりました。何十年もやっていない山登りをしている意識はなく、スキーの準備としか考えていなかったものですから、予想外に大変でした。その若者はいわゆるバックカントリースキー界では知られた男で、あれこれ気を使ってくれるのです。シールはスリップしないか、歩く速さはどうか、心臓はバフラめいていないか、斜度をもう少し緩くしようか,という具合です。しかしこちらはなにせ登る事がとてつもない重労働のような状態です。「8000mの山を登るのってこんな感じかな」「いえ、ここは1000mです」だんだん口数が少なくなり、教えてくれる周りの様子もほとんど目に入りません。スキーを滑らす長さが40〜50cmから20cmほどに短くなってきます。うっすら凍った表面に積もった雪が、時々ずり落ちます。先頭を彼が踏んでくれる跡はもちろんかなり楽ではあります。が、歳と長年の横着のせいで息も絶えだえ、ただ足を緩慢に出すだけです。
頂上からの眺望は、忘れ果てていた登山の感動や感激を呼び覚ましてくれるようでした。雪に覆われて連なる日高の山々と、やはりいまだ白いままの十勝平野が広がります。すぐ下にトンネルを出たばかりの国道があり、南にトマムスキー場がはっきり見えます。風は多少ありますが空はまあまあ青い。そして目の前に薄いとはいえ新雪が積もった斜面が待っています。まるで神の目で眺めているようです。
私は圧倒されていました。自然の姿がこれほど力強く、かつ恐ろしい程にせまってくるものだったろうか。今の体にはたったこれだけの登りが苛烈だった事と相まって,私は雲に乗っているように足が地に着かない状態でした。当然滑りは悲しいぐらいにぶざまで、説明のつかない敗北感のようなもので一杯でした。一本滑って終えるしかありませんでした。体が限界だっただけではなく、突然解放されたかごの鳥のような当惑で集中できなかったように思います。すっかり整備され「安全」に管理されたスキー場を多少滑ることが出来るようになっていた、いわば遊園地の遊びから「危険が一杯」の天然自然に放り出された不安でしょうか。
4月8日、再度の挑戦です。前日やはり季節外れの降雪があり、そそられる量でした。犬の散歩をしながら快晴の空を見て「よしっ!行く!」ことにしました。今度は一人です。風もなく気温はどんどん上がりますが、逆にこれが気持ちよく、ゆったり周りを眺める余裕も持てました。上の写真はこの時のものです。登りはやはり一時間半かかりましたが、一度来ているので様子が判ります。疲れ方は桁違いに少なく感じます。頂上でゆっくり食事をし,周りを眺めます。真っ青な空の下にどっしり山々と大地があります。この開放感、この視界、この高揚する気持ち。前回とは大違いです。もう一度来られてよかったなあ、と少年のように思いました。あのまま今シーズンの終わりにしていたら、来シーズンまできっと重い気分のままでいるしかなかった。よかった。久し振りに自由を思い出しました。
雪はかなりべたついてきていましたが身も心も軽く、スキーになりそうです。前半のスピードについていけず急斜面半ばで一度止まり、そのあとやや深周りで急斜面を終えました。思わず声を上げました。結構ぜえぜえしていました。気分が良いのでもう一度頂上へ登り返し、最後にしました。この時は重い雪のせいもありましたが、いくつか弱点が判明しました。しかしおもしろさを損なうものではないので、我ながら満足のできるスキーとなりました。これで本当に今シーズンは終わりです。
あとで判った事ですが,この日朝早く、7時頃に例の彼が一本滑っていたそうです。そういえば縦に吹っ飛んでいるラインが一本ありました。