山仕事

引っ越して10日経ちました。電気、電話、水道のない生活のペースもかろうじてできつつありました。水汲みの場所にも汲み方にも慣れ、使い方の加減もできるようになっていました。青木君も自分の仕事に戻り、そうそうこちらの都合に合わせてばかりもいられなくなりました。連休が終わって塾も本格的な指導が始まっていたからです。

生活の体勢も大体整ったので、そろそろ山の仕事に出かけることになりました。北海道の場合、炭焼きの歴史はほとんどないそうでしたから山仕事と言えば、造材か造林です。造材はいろんな製材を取るために太い木を伐りだす。造林は造材した後を整えて苗木を植え、育てる。私がいくことになったのは後者の造林です。仕事場は主に芽室町、大樹町、士幌町、上士幌町、音更町の山でした。どこも車で1時間半、ほぼ営林署の仕事です。といっても昔から取り引きのある大きな会社が元請けで、私の入った会社はいわゆる孫請けです。初日、士幌町の町有林でから松を植えます。50メートルほどの綱を両側で引き、その間に10~11人の人夫が2メートル位 の間隔でから松の苗をうえるのです。それが簡単ではありません。

山の斜面のある区画に植えていた木を全部伐った後、火を入れて余計なものを焼いてあります。ところによってはまだくすぶっていることもあります。歩くたびにあくが舞い上がり、春先の乾いた空気と一緒に吸い込んでしまいます。 30~40センチのから松の苗をうえるのに使うのは、日本昔話の百姓が使うようなくわです。これで地面 を直径30センチほど耕し、中心あたりに苗を入れて頭を引っ張りながらまわりを踏み固める。両側に張られた綱が足元にあるときは何の問題もありませんが、遥か頭上になってしまうこともあります。斜面は一様ではなくいろいろなうねりやでこぼこがありますから、綱が頭上高くにある時私はまず場所を決めるのに時間がかかります。その上火入れで焼けているのは表面 だけで、 くわで耕すところはほとんど熊笹や大小の木の根が這っています。この根をくわで切り取ってしまわなければ、から松の苗はうまく育ちません。ろくな肉体労働をしたことのない私は他の人夫さんの1/5も植えられず、それどころか疲れと咽の乾きでほとんど夢遊病者でした。 5月中ごろの晴天のもと、火入れのあくが舞い上がる山での初仕事は拷問のようでした。 帰りの車では一言も口を利けませんでした。

このころ、山の仕事は大体どこの会社も5~6人のグループにわかれて仕事をしていました。私は同じ町内で隣に住んでいる岡さんのグループです。岡さんはいつも御夫婦で仕事をしているのでした。奥さんのことを山では「ねえさん」と呼ぶ習慣です。他にも奥さんがいる場合は「~さんのねえさん」という具合です。私が息も絶え〃だった初日、見かねた岡さんのねえさんが造林地の外れからアイヌねぎを何本か抜いてきてくれました。「生でも食べられるから。甘いんだよ。元気出るよ。」初めて食べるアイヌねぎの味はよくわかりませんでした。ただ咽がいくぶん潤って、やや力が出るような気がするだけでした。これが実は大変な山菜で、この年私の体力の源となります。その後植えつけの期間、昼休みに近くで採ってはリュックに入れて帰るという毎日となりました。

慣習

山へいく人夫は朝6時に出掛け、現場到着が大体7時過ぎです。簡単な打ち合わせや道具を準備して仕事を始めるのが7時半。9時から10時の間で一服し、昼食は11時半から1時まで。この間に昼寝をしたり、山菜採り、キノコ採りをします。夕方は4時過ぎには仕事をやめて帰ります。 持ち物は機械や道具だけではなくもちろん弁当を持っていきますが、他に着替えの下着やタオル、水を凍らせたペットボトルや氷を入れた水、お茶も持っていきます。春先から秋の初めまでは毎日文字通 り絞るほど汗をかきますから、水分補給は重要です。私の経験では、真夏、持っていく水分はお茶も合わせて4ℓほど。これほど飲んでもまだ身体は要求していました。弁当はごはんが米2合分、同じぐらいの量のおかずです。他にデザートのような甘いものを少し。これは私だけでしたが、これほど食べても帰る頃は空腹になるのです。もちろん朝晩それぞれの食事も相当の量 を食べていました。「仕事が食べるんだ」とよくいわれました。他の人達も食べる量 は半端ではないのです。それほど過酷な労働ではありました。ただ驚いたことに、かくも食べたからなのか汗をかいたからなのかよくわかりませんが、翌年の健康診断では私の身長が2cm伸びていたのです。30才を過ぎてからですから、信じられなくて何度も計測しなおしてもらいました。獣のように食べて寝る、この単純な暮らし方は健康の原点だったように感じます。

帰宅後風呂から出るとすぐにビールを1本飲みます。その後で焼酎です。草刈りや間伐の時は機械を使いますから、振動病予防と疲労回復のために酒はかかせません。そういう訳で私もいつしか酒飲みになってしまいました。いえ、酒を飲まなければ眠ることもできないほど毎日疲れてしまうのです。本当にたまげたことですが、山の仕事は想像を絶するほど原始的かつはげしい労働なのです。山登りをする登山堂よりも険しい斜面で、くわや草刈り機を振り回したりチェンソーを引きずり回す訳ですから、慣れたって苦しい。登りおりするだけでも何日分も疲れてしまいます(と、今でも思っています)。 土建屋さんや大工さんのように車で現場に横付けなんてことはまずできません。ブルドーザーでも行けないような場所に現場があるからです。 林道で車をおりてから、15分や20分は斜面を歩くのが普通です。しかも道があるのは稀でほとんどはやぶのようなところです。

ある年の植えつけで、現場に必要な苗木を何日もかかって人力で運んだことがあります。 ブルドーザーで運ぶことができるのは、現場から1キロも離れたところまでだったからです。 月へ人間がいく時代に、なんという時代錯誤かと思いましたが、岡さんたち熟練の人夫さんたちはそうして何十年も働いていたのです。 岡さんのねえさんのような女性も大勢いるのですから、いやはやあいた口がふさがりません。自分のからだがどれほどなまくらなままだったか、つくづく思い知らされました。

暮らしそのものをできるだけ自分の手に取り戻すなどと言うには、想像を絶する体力が必要です。 逆に手のつけようもないほど複雑化した現代社会でも、体力さえあれば健康に暮らすことができる余地があるのは、救いです。